11年目の3.11
- 2022/03/11
- 18:32

早いモノであれから11年
毎年TV特番が組まれるが
まだ仮設住宅に住まわれてる方
まだ行方不明の方がいる事に驚く
・・・
そうなんだ
・・・
そしてまた来年も思うのだろう
国際フォーラムの展示場で地震にあった母は独りぼっちだった
ガラスの天井が危ないからと建物から出る様にアナウンスされ
多くの人が外にいた
当時使ってたガラケーは全く使い物にならず
公衆電話は長蛇の列
途中コンビニはガラガラ
レストランや喫茶店すべて閉まった
・・・
ビルのガラスが落ちた道を3時間かけて歩いた
やっと当時の勤務先に戻り階段で6階まで上がった
かろうじて電話が通じやっと家族と連絡が取れた
そこから6時間かけて家に帰った
途中多くの人がただひたすらに歩いていた
道路の車は1mmも動いていなかった
何度も大きな河の上に掛かる真っ暗な橋を渡り
余震で揺れるたびにあちこちから悲鳴が聞こえた
自宅に近づいた時避難所になってる役所のTVを見た
東北の恐ろしい映像に凍り付いた
心臓がバクバクなってもう痛くて歩けないはずの脚が家路を急いだ
長男が自転車でこちらに向かって来るのが見えた時
膝から力が抜けて涙が溢れた
緊張してたんだ・・・母
自転車を二人乗りして・・・息子に抱き付き大泣きした
家の横の坂を上れずお姫様抱っこしてもらった
家のテレビから目が離せず
しばらくただただ泣いて地獄絵を見てた
あれから11年・・・
早いと感じる母
被災された方にはどんな11年だったろうか
いまだ平穏に暮らせない同じ国の方々を想う
同じ国の人間すら守れない私たちでも
遠い国の悲惨な現状を変えることが出来るのだろうか?
無力な母に何が出来るのだろうか
平和を・・・祈りたい
そして・・・また
患者様が亡くなられた
今年に入って3人目
何といわれようとワクチンだと母は思う
・・・
哀しい春だ
つづく
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